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父の所蔵品の中から父以外のレース関係の写真も発掘されました。
貴重な資料と思われますのでこちらもすこしずつアップしてゆこうと思います。 1977.10.30 RCC筑波チャンピオンズNo3 1977.08.07 富士フォーミラーチャンピオンレース たけちゃんこと飯田武選手。1977年ラッテストーン747レースの公式プログラムに父が寄稿したFL500のドライバー紹介から引用します。 ベルコ車の多い中で、ファルコンに乗って孤軍奮闘している。チビのくせに速い。(関係無いか)八百屋の次男坊でイバっている八百屋で有名である。「八百屋のアンチャン」と奥様方が呼んでも返事をしない「八百屋のお兄さん」と呼べば「ハイ、ハイ!!」と答える。わたしは「タケッ!!」と呼ぶ。返事がないと拳固をくらわせるのダ。 レースと関係ないことしか書いてませんね。この頃、筑波のFL500はベルコもファルコンもみんなSRS久保チューンのエンジンを積んでました。ところが同じエンジンにも関わらず直線ではファルコンの方が速かったそうです。実際当時の雑誌の記事によると富士で最高速を計ったところベルコの金田選手の191km/hに対し飯田選手のファルコンは195km/h出ていたそうです。飯田さんが小柄だったので「たけちゃんが軽いからだ」などという人もおりましたが、理由はもちろん空力の良さです。ベルコ97Cなどはチャンバーの放熱がうまく出来ずほとんど全ての車がリアカウルを外して走っていたのですが、ファルコンがカウル付きで走れたのも空力設計の優秀さを表していると思います。77年シーズンはサスのセッティングが出なかったようでコーナではベルコ勢が速く、直線ではファルコンと筑波では噛み合ったレースが展開されました。しかし直線の長い富士ではファルコンの圧勝でした。 翌78年はサスの不具合を解消し筑波でも鈴鹿でも富士でも圧倒的な強さを誇りトリプルチャンプに輝きます。 ところで、上の紹介文に飯田選手はファルコンで孤軍奮闘とありますが77年途中からFBからステップアップした小幡栄選手も77Aのステアリングを握ります。 小幡選手のファルコンは青でした。 ちょっとうろ覚えなのですが78年飯田選手が筑波/鈴鹿チャンピオンを獲得しFPにステップアップしたあと、79年は小幡選手が77Aで筑波チャンピオン。80年に80Aをデビューさせ、81年に篠田康雄選手がまたも筑波/鈴鹿チャンピオンを獲得しファルコンの時代が続いたように記憶しています。 「投げたダイスが明日を呼ぶ」さんのFALCON 77Aの記事にTBさせていただきます。
by jamacou
| 2009-02-17 01:59
| レース
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